第21回坂田賞授賞理由

第21回坂田記念ジャーナリズム賞授賞理由

[第1部門新聞の部](スクープ・企画報道)
@京都新聞「県外避難者報道」取材班
(代表=大西祐資・文化部観光担当部長)
連載「故郷はるか」を含む一連の県外避難者報道

[推薦理由]
東日本大震災では原発事故による放射能への懸念や甚大な被災から6万5千人以上が県外に避難を強いられた。 「広域・長期避難」が特徴で京都新聞の地元の京都府や滋賀県にも避難してきた。この実像を地方紙として後世に残そうと決意して取材に臨んだ。この中で「除染→住民帰還→補償打ち切り」が政府の描く道筋だが、この道筋に乗れない多くの県外避難者は自己負担で生活再建を目指すほかなく、これは共通課題になっている。京都、滋賀の避難者の姿を通して、この共通課題の解決につなげたい、と思った。さらに原発に依拠した社会が抱える豊かさの中の危うさを伝えることでエネルギー政策だけでなく原発事故の際に人々の暮らしがどうなるのかという観点も含め、原発の是非を判断する材料を提示できた、と思う。

[授賞理由]
 この一連の記事で東日本大震災被災地から遠く離れた京都や滋賀で暮らす被災者を通して問題が山積していることに警鐘を鳴らしている。制度的な課題だけでなく、故郷を離れざるを得なかった被災者の苦悩、逡巡、希望など複雑な胸の内を多くの事例を挙げて伝えている点が特にいい。地図や写真、キーワードの解説も親切だ。読みながら個人としてどうすべきか、考えさせられた。
また東北で起きたことが京都新聞の読者にも他人事でないことがひしひしと伝わり、新聞ジャーナリズムの社会的役割の提示としても優れている。関西圏のジャーナリズムが担うべきことへの答を見る思いがした。

A毎日新聞大阪本社編集局編集委員・松井宏員
 連載「わが町にも歴史ありー知られざる大阪」

[推薦理由]
 大阪の知られざる歴史を訪ねて、大阪案内人とともに記者が町を自分の足で歩くスタイルに徹し、300回を超える長期連載になっている。大正区にあった第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜収容所、第二次世界大戦の兵器輸送軍用道路跡などあまり知られていない史実を掘り起こし、現在とのつながりや断絶を、上方落語や小説も交えて時に軽妙なタッチで、時に歴史を大事にしない行政を突くなど多彩な手法で描き、大阪が様々な顔を持つ歴史豊かな都市であることを解き明かしてきた。読者からは「自分の住む町を見直した」「愛着をよびさまされた」など多くの反響があった。
 学校の教材にも使われるケースもあり、「歴史ツアー」など読者参加型の企画も実現している。新聞の記録性、保存性の利点も再認識させた。

[授賞理由]
 記者がたった一人で長期間にわたり取材、執筆活動を続けていること、また川口居留地、木津川飛行場など町のいたるところに埋もれている大阪の歴史を掘り起こして、大阪人に地元を見直すいい機会を提 供している。
 この作品を読ませる力は、事実の発掘力に加え、「大阪案内人」を導き手にした工夫と筆者の軽妙、洒脱な筆力に由来するのだろう。読者が新聞に求めるのはビビッドなニュース報道ばかりではない。この作品はほっと一息つける好読み物になっている。


[第1部門放送の部](スクープ・企画報道)
@関西テレビ放送「みんなの学校」取材班
 (代表=真鍋俊永・報道番組部ディレクター)
 ザ・ドキュメント「みんなの学校」


[推薦理由]
 この作品は開校から7年目、大阪市立南住吉大空小学校を1年間取材した記録だ。新しい小学校で児童数も約220人と規模も小さいが、特別支援の対象が約30人、就学支援を受ける比率も半数を超え、いわゆる「しんどい学校」のハズだ。しかし、不登校はゼロだ。木村泰子校長は「すべての児童に学習権を保障する」ことで児童みんなに「居場所のある学校」を目指している。教職員は自分のクラスだけでなく全員の様子を見る。 そして地域の人たち、ボランティアもみんなが、児童を見守り、生き生きとした学校作りを目指している。 特別支援の教室は作らず、児童同士も理解し合い、助け合う新しく、学校運営に成功している。その姿を素直に作品にした。

[授賞理由]
 多くの人が関心を持つ「教育」の問題であるが、学力と競争力を重視する現在の大阪府、大阪市の教育観に対し、教育現場からの静かな反論として「学びあう力」「生きていく力」の重要性を訴え、説得力ある映像作品になっている。とりわけ、現場の教師たちの子どもたちへの向き合い方は、教師に対する社会の一部からの不信感に対する反論になっている。早朝から深夜まで努力する教師たちの姿は、その悩みや苦労を知る身からすると痛快だった。
 また小学校など教育現場の撮影は、学校の理解が必要であり、学校や保護者たちとの信頼関係の構築が不可欠であるが、この点でも制作者たちの努力は高く評価できる。優れた指導者校長の指導力もあるが、ともすれば、暗いイメージになりがちな大阪教育界の印象を一新させる実践の記録であり、教育の未来に明るい展望を与えてくれる。

A読売テレビ放送情報番組センターディレクター・宇佐美彰
 NNNドキュメント’13「死刑囚の子〜殺された母と、殺した父へ 〜」

[推薦理由]
 大山寛人さん(25)の父親、大山清隆死刑囚は13年前、妻を浴槽で溺死させ、海中に投棄した。その2年前には養父の頭を鉄アレイで殴ったうえ、車に乗せ、壁に激突させて殺害した。いずれも保険金をだまし取っていた。母が殺されて10か月後、父が逮捕された。その日を境に寛人さんの人生は一変した。「人殺しの子」と呼ばれた。高校は3日で中退。野宿をしながら盗みを繰り返し、鑑別所にも入った。自殺も図り、自らの人生を呪い、ひたすら父を憎んだ。
 逮捕から3年半後、寛人さんは父に一審で死刑判決が下されたことを知り、初めて拘置所を訪れた。これまでの苦しみや憎しみを父にぶつけるために。しかし面会室のガラス越しに見た父はやつれはてていた。「父は己の罪を悔み続けている」。そして苦悩と葛藤の末にたどり着いたのは「生きて罪を償い続けて欲しい」という思いだった。しかし一昨年、最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した。
 この作品は母の無念と父の犯した罪を一身に背負い、その狭間で続く葛藤を描くことによって死刑制度の現実を見つめ直したものだ。

[授賞理由]
 ドキュメンタリー作品はその多くを素材に負うが、この作品は圧倒的な素材と言うべきで、訴求性がずば抜けている。父は殺人を犯し、殺されたのが母だった。重すぎる不条理を背負い、困難な状況の中で生きて来た主人公の日々を描く。主人公は死刑囚となった父と文通をしつつ死刑の是非を考えていく。日本では死刑制度の是非を巡る議論はいまだ熟成してないが、犯罪被害者であり、同時に加害者の血族でもある主人公の声は迫真の響きを持つ。本作品は取材者に対する被取材者からの熱い信頼感がなければ作れないもので日本のテレビ作品史上、無視できない位置を占めることになるだろう。

B毎日放送報道局ニュースセンターマネージャー・奥田雅治
 映像’13「隠された真実〜焼身自殺の真相を追う」

[推薦理由]
 2007年、名古屋市バス運転手の山田明さん(当時37歳)が焼身自殺した。自殺の本当の理由を知りたいと両親は職場に行くが「思い当たるトラブルはなかった」との答が返ってくるだけ。ところが明さんのパソコンを見ると「上申書」や「進退願」が出て来た。さらに調べるとこれまで隠されていた職場のトラブルが浮かび上がってきた。両親は自殺の原因は職場にあったと「公務災害」の認定を求めるがそこには公務員職場の厚い壁が立ちふさがる。
 2013年6月、政府が発表した自殺対策白書によると2012年の自殺者は15年ぶりに3万人を下回ったものの20代の死因の半数近くを自殺が占める「深刻な状況」と指摘した。「なぜ若者に自殺が」との思いからスタートした取材だったが、自殺の真相を追う両親の姿を描いたこの作品は単純な真相追及に終わらず、真相を追究する両親に生じる心的ストレスもとらえ、「平成25年度文化祭芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門」で優秀賞を受賞するなど高い評価を得た。

[授賞理由]
 テレビだけでなく、新聞でも雑誌でもネットでも伝えやすい題材と伝えにくい題材がある。またどのような題材でも取材者の人間力が作品の深みを作る。この作品は一人の名古屋市バス運転手が乗客とのトラブルの責任を組織ぐるみで押し付けられ、それに抵抗しきれず焼身自殺してしまった背景を家族の協力で執拗に追ったものだ。自殺の原因を作った交通局のことなかれ主義とそれに協力する職員の隠ぺい体質に起因することを丁寧な取材と映像によって明らかにしていく。  組織は対外的に善の顔をするが、現実には失敗をしばしば組織内の弱者に押し付ける。その是非、善悪を裁くべき裁判所までがそうした構造にあることがよく描かれたジャーナリズム活動だ。 視聴者にも社会浄化力を起こさせる秀作である。


【第2部門新聞の部】(国際交流・貢献報道)
 @朝日新聞大阪本社社会部記者・金成隆一
 「教育のオープン化」をめぐる一連の報道

[推薦理由]
 大学などの講義や教材をネットで無料公開し、教育機会を広げる世界的な潮流「オープンエデュケーション」。金成記者は大阪で教育担当をしながら、日本のジャーナリズム界でいち早く、この動きに着目した。米国やドイツ、モンゴルでの取り組み、喜ぶ学習者の姿を現地ルポして日本国内に知らせ、「教育のオープン化」の国際理解に貢献した。
 従来の教育現場と言えば、学校や塾だった。しかしこれだけでは不登校の子、途上国の子、貧困家庭の子に有効な教育の手立てがなかった。ここから教育のオープン化が始まった。情熱的な個人が講義ビデオや教材を次々と公開し、ネットにつなげれば、誰でも、どこからでも、いつでも学べる時代になった。ついには米国で大学講義を流す大規模オンライン講座(MOOC)が誕生した。記者はMOOC誕生やネット動画を使った米国の「反転授業」、無名だった日本語の無料学習サイトなど次々と紹介、教育のオープン化の機運を高めた。一部は英語版でもデジタル配信されている。
 反響も大きく、文部科学省幹部や大学関係者に招かれ講演。 また日本語の大学講座を無料配信する機関の発足につながっている。

[授賞理由]
インターネットを使った「教育のオープン化」は大学など教育の世界だけでなくNIEで教育とつながる新聞界にも大きな影響を与えるだろう。この流れを諸外国の先進的な試みと日本での試みを並行的に紹介し、南北問題、格差社会、言語問題など解説した優れたキャンペーンであり、オリジナル性も高い。
 ただ、オンライン教育の機会均等性が強調されているが、教育ではこうしたオンライン教育だけでは欠落しがちな社会倫理を含めた人間形成の面にも今後、着目すべきだろうし、ゼミナールなど少数の対面教育の大切さも同時に訴え、どう効率的に組み合わせるかが今後の課題になるべきだろう。

【第2部門放送の部】(国際交流・貢献報道)
 @朝日放送「日朝遺骨問題」取材班
 (代表=藤田貴久・報道企画担当部長)
 「空白の68年〜日朝両国に眠る遺骨〜」など一連の報道

[推薦理由]
 融けかけた氷河が再び冷えて固まった日朝関係。その氷河を融かす可能性を持つのが日朝両国に眠る遺骨の問題だ。朝日放送は2011年、「平壌郊外に日本人とみられる大量の骨が出ている」との情報を入手、取材すると神奈川県に住む佐藤知也氏が平壌郊外にあった日本人墓地の見取り図を持ち帰っていることを突き止めた。この資料をもとに「墓地を確認したい」と北朝鮮政府に申し出ると、北朝鮮政府は了承、12年6月、訪朝して見取り図と一致する墓地を確認できた。その後、日本政府が「遺骨問題は重大な未解決問題」との認識を示し、10月、日本人遺族が戦後、初めて墓参を実現した(北朝鮮には2万人を超える日本人が眠っているとされている)。
 一方、日本にも徴用などで日本に来た朝鮮半島出身者の遺骨が相当眠っており、政府は韓国には遺骨返還を行う一方、北朝鮮には遺骨の存在さえ伝えていない。取材班は東京の祐天寺で見つかった遺骨の北朝鮮遺族を捜し出し、北朝鮮政府に取材を依頼、13年10月、北朝鮮国内で遺族に取材することに成功。遺族は「一刻も早く父親の遺骨に会いたい」と訴えた。遺骨問題の取材は北朝鮮政府の態度の軟化を引き出しているのだ。

[授賞理由]
 北朝鮮に眠る家族の墓を日本人遺族が訪問、あるいは高齢で訪問がかなわなかったという報道はすでになされていたとはいえ、今回の作品で紹介された、畑から掘り出される人骨の映像やその畑の持ち主へのインタビューは生々しく、衝撃的だった。また日本人遺骨の問題にとどまらず、日本に徴用された朝鮮半島出身者の遺骨問題にも触れている点もこの報道を優れたものにしている。
 朝鮮半島の北半分に取り残され、そこで死亡した一般人や軍人たちの数さえ正確には分からない。戦後68年で北朝鮮を訪れた遺族団長の「皆様方は戦争の被害者です。私はこのことをわが国の為政者にしっかり認識してほしいと考えています」という言葉は重い。
 朝日放送は従来から北朝鮮報道に力を入れてきたが、今回も国境で妨げられている多くの問題の一つがテレビによって明らかにされたことに敬意を表したい。


第2回東日本大震災復興支援坂田記念ジャーナリズム賞授賞理由

[新聞の部]
福島民報社編集局「原発事故関連死」取材班
(代表=円谷真路・報道部副部長)
長期連載「原発関連死 ふくしまからの訴え」など一連の報道
[推薦理由]
 福島県は大震災に加え、東電福島第一原発事故に見舞われ、太平洋に面する浜通りを中心に放射線量の高い地域が避難区域に設定され、国による強制避難で今なお、8万人余りがわが家に戻れない。そして長引く避難生活で多くの命が失われている。国は震災関連死として地震、津波の直接死と区別する。2013年12月に福島県の関連死は直接死を上回り、14年2月6日現在、1644人になった。岩手、宮城両県では関連死は震災死者の約8%で原発事故災害に苦しむ福島県の異常さが際立つ。仮設住宅や借り上げ住宅での暮らしが長くなるにつれ、心身をすり減らし、自殺する人もいる。
 本紙は原発事故による避難死を「原発事故関連死」と位置づけた。そして12年11月から連載を開始、死に至る事情や家族の苦悩を追い、自然災害を前提とする災害弔慰金制度では対応しきれない現状を明らかにし、新たな被災者支援制度を訴えてきた。連載はようやく政府を動かそうとしている。
[授賞理由]
 福島民報社は福島県を代表する地域新聞であり、地震、津波、原発と言う複合災害でもとりわけ「東電福島第一原発における事故」については県民の生命と健康を守るため。長期的視野に立った報道を続けている。とりわけ今回の応募作品である「原発事故関連死」キャンペーンは地震、台風、津波などの自然災害とは違い、人間が作ったものによる事故災害で高度の放射能汚染区域からの避難や生活によって死に追いやられた人たちとその原因を多角的に追いかけ、被災者に寄り添った目線の低い報道は地元紙のみが出来ることだ。また「鎮魂のメディア活動」だけでなく、これまで公には原発事故関連死を認めてこなかった政府や専門家たちに国民の安心・安全政策の見直しを迫るもので高く評価できる。
 またこうした被災地からの情報発信は地域の現在と未来について地域の人が知り、考える契機を与えるだけでなく、原発問題を風化させない、いう点でも意義深い報道である。

[放送の部]
@東北放送報道部プロデューサー、熊谷公幸▽同記者、佐々木雄祐
「震災の記憶 未来の命を守るために〜大川小遺族の2年〜」

【推薦理由】
 東日本大震災の発生以降、東北放送はラジオ、テレビを挙げて震災に関してキャンペーンや番組など地元発信を続けている。「震災の記憶」シリーズは「あの日を検証し、今後の防災に生かす」ことを狙いにしたもので今回の「未来の命を守るために〜大川小遺族の2年〜」は震災から2年のタイミングで放映した。大川小で亡くなった74人の児童の父でもある中学教師の防災への取り組みを紹介しながら将来の災害に向けて何をすべきかを、大川小の悲劇の真相究明を視点に入れて作品化した。
 被災後、早い段階から風化を意識せざるを得なかった。宮城県内でも順調に復興した地域とほとんど前に進めない地域の間で格差が生まれ、拡大しているからだ。「被災者に寄り沿う」「絆」が言葉だけになっていないか、震災を伝えれば伝えるほど報道の力不足を覚えたが、被災地の住民の「忘れられるのが怖い。しっかり現実を伝え続けてほしい」との声を原点に今後も復興への長い道のりを報道し続けたいし、今回の作品はその典型だ。

【授賞理由】
 あの日、あの時、大川小で何が起き、教師や児童がどう行動したのか。この悲劇の事実関係が解明しきれておらず、むしろ教育委員会がそれを隠ぺいしようとした姿が冷静に検証され、優れた問題提起的な報道番組である。わが子をこの大川小で失った中学教師がこの問題を考える中で防災教育に取り組んでいく姿に未来への希望を感じることができた。ただ、いざという時の避難所を住民も教師も認識していたこと、山と堤防に遮られ、津波の動きが把握できない環境だったことなども丁寧に描く方がもっと教訓的になったかもしれない。
震災後、中学校で生徒に接する教師が「生徒が命に見えてくる」という言葉が印象的で「震災の記憶 未来の命を守るために」のタイトルにふさわしい番組だ。

[放送の部]
A山元町臨時災害FM放送「りんごラジオ」局長・高橋厚
 東日本大震災から3年、臨時災害放送としての活動

【推薦理由】
りんごラジオは東日本大震災で地震と津波により635人もの犠牲者を出した宮城県最南端の山元町に開局した臨時災害FM放送だ。開局理由は災害発生後5日間にわたり、山元町の情報がなかったからだ。メディアは県北部に集中、山元町内の防災無線も被災して機能せず、電気も電話も不通、町の内外から情報が消えた。それなら地域のことは地域で伝えるほかない。開局は10日後、県内最速だった。携帯ラジオの周辺にはあちこちで情報を求める人垣ができた。以降、りんごラジオは24時間自主制作100%、山元町情報・話題100%を続けている。取材した復興情報などはラジオらしく原稿+インタビューで伝える一方、仮設住宅や商店、町議会からの生中継も行ってきた。企画では夏休み、冬休みでの「小学生アナウンサー」の放送、震災2年目には町内の犠牲者600余人の名前を読み上げた。「何を」、「誰に」、「なぜ」、「どのように」伝えるかはその都度、自らに問い掛ける基本だ。また二つの信念がある。一つは「町にはいい声がある」だ。反対も賛成も様々な声があるほどいい町になれる。これまで5000人の声=思いを伝えてきた。もう一つは「小さくともラジオ局」。内容はすべてりんごラジオが判断する。干渉は一切ない。今後も仮設住宅から最後の一人が新生活へ踏み出せるまで続ける。

【授薦理由】
 臨時災害放送としてラジオ局が開かれたことは情報のない被災地では不安な毎日を過ごしていた住民にとってどれほど心強く、支えとなったことだろう。安否情報や被災状況に関する情報など、被災当初は人々が行き抜くために本当に必要とする情報を届けてきた。時が経ち、町会議員の報告や住民の思いなどの放送は住民が情報を共有、ともに復興を支えていくための基盤を提供している。
 またジャーナリズムが中央へ中央へと向かう時代にあって、地元の情報提供に徹する“ミニジャーナリズム”の試みは新鮮だ。震災から3年、こんなFM局が存続できたのは、住民の熱い支持があったからだろう。ジャーナリズムのもう一つの原点を教えてくれるようでもある。この種の報道機関が災害時の臨時放送としてその役割を終えるのでなく、地域に密着した「応援歌としてのジャーナリズム」として定着したら、と思える。


第2回東日本大震災復興支援坂田記念ジャーナリズム賞特別賞授賞理由
IBC岩手放送報道局報道部、制作局テレビ制作部「忘れない3.11」取材班
(代表=テレビ制作部ディレクター・千葉佳史)
「忘れない3.11」キャンペーン

【推薦理由】
 「忘れない3・11」、これがIBC岩手放送の合言葉だ。
 そして未曾有の大災害からの復興の課題やその歩み、そして希望をどう伝え続けるのかー。その答えが「当事者へのこだわり」だった。夕方のローカルニュースで毎週、復興への課題や希望を掘り下げて伝える「復興への羅針盤」を展開。さらに3か月に一度、30分の特別番組で二重ローン問題、全国からの支援で立ち上がった漁師たち、被災地の光である子どもたちなどにスポットを当てた報道を続けてきた。
 これと並行して「忘れない3・11〜わたしの一言」という15秒のキャンペーンCMを制作。当事者の声だけで語られる思いを毎月11日に放送するとともに自局のYouTubeサイトなどで全国に発信した。猟師や主婦、小学生や96歳のおばあちゃんまで登場するCMはこの1年間で44本になった。
 震災から3年を経過したが、地元放送局の使命として地域の声を記録し、伝え続けていきたい。

【授賞理由】
 大災害の場合、被害から立ち直れない人がたくさんいるのに、ともすれば日常的な課題を優先しがちだ。被害に濃淡があり、その種類も多様だから被害に直接的な関係が薄いことには協力関係を構築しながら具体的な対応をすることが難しい。
 岩手放送は忘れること、忘れられることが一番怖いとの基本認識でこの3年、ローカルニュース、特別番組、15秒CMなどでキャンペーンしてきた。この報道で物事を一過性にせず、同時に直接の関係者以外の政治家、官僚たちにも訴え続けることができる。多くの人たち(当事者)の声を積み重ねることで重みも増す。被災現地のメディアの課題を実行しているすぐれた番組である。